「どうして自習室をグロリアスタイムを作ったのですか?」とよく聞かれます。
いくつかありますが(その中の1つはテレビインタビューで答えております。YouTubeで配信されていますのでご覧ください。)1周年という区切りなのでもう一つを紹介します。
実は2023年(令和5年)3月16日(木曜日)午前中に私の父をオープン前の自習室に連れてきました。とても喜びました。その時の写真がこれです。
昔からいるスタッフや我々家族と写真を撮り大層喜んでいました。
前置きが遅くなりましたが、グロリアスタイムがある部屋は実は税理士だった父が定期的に開催していた「税法改正を勉強する会」(春秋会)の研修室だったのです。
90歳まで現役で税理士をしていた関係で、3階で若い税理士さんたちと共に研修していました。
そうこうするうちに熊本地震があり、3階は長机などがそのままになっていました。それで両親から「宏、あの部屋どうするの?」とそのままになっていたことを心配して私によく聞いていました。そのころまだ公立学校に勤務していましたし、その後専門学校で留学生に「日本語」を教えていましたので手をつけられずそのままにしていました。
2回目の退職をして少し余裕が出てきたとき、部屋の特徴を生かして東京、大阪、博多には盛況なのですが、熊本にはほとんどない「大人の自習室」を作りたいと考えました。
それで2022年に創業し、2023年3月オープンいたしまして、本年度(令和6年)このたび無事に1周年を迎えるということになります。
戦争で苦労して(父は学徒動員・シベリア抑留、母は疎開していた台湾の女学校を辞めて台湾空襲で止む無く内地に帰ってきた)勉強という勉強がまともに出来なかったことをよく話していました。
父はシベリアで欲しかったものとして「食べ物、水」「暖」そして「文字」と言っていました。衛生兵だった父は効能が書いている紙(説明書)を擦り切れるほど何度も何度も読んでいたそうです。人は極限になると文字を読みたくなると言ってました。
※話は飛びますが昨年9月に母が通った元新竹の女学校に行ってきました。あー新竹駅で降りてこの学校に通ってたんだなあと胸が熱くなりました。
また父が小学校時代通った向山小学校に私の最後の勤務校でした。父は昨年6月享年100歳で他界しました。
「勉強するから何をしたいかがわかる。勉強しない人は何をしたいかがわからない」これはビートたけしさんの言葉らしいですが、両親もまったく同じようなことを言っていました。
また両親は「あの人は頭がいい」とよく人は言うけれど「みんな、さほど変わらんとよ」ともよく言っていました。
父はシベリア抑留から帰ってきて税理士の勉強を始めたのですが兄弟が多かったので私が生まれてからも押し入れで勉強していたと祖母、母からよく聞かされました。
ですから「どうして自習室をグロリアスタイムを作ったのですか?」の答えの一つは
→「両親の強い思いが影響している」です。(せっかく父の時代研修室という勉強の場として使っていたので、教育関係あるいは学び関係で使ってほしい)と二人とも生前よく言っていましたのも影響していると思います。
→あと、かっこよく言えば「世代継承」です。
「新しい時代に生きる(勉強する)世代に自分が持っている知をつなぐこと」
形で残すことも大事なのかなと思います。




令和6年(2024年)3月15日(金)記(明日から1周年感謝祭準備に入る)
